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「読切」
淵に立つ

淵に立つ

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 日ごと募る想いは、筆舌に尽くしがたい痛みをともなう古傷となって、半妖の少年の身体を
蝕んでゆく。その間にも時は流れ、目にも鮮やかな緑の新芽が陽射しを浴びて、輝いている。
 かごめとの再会を切に願い、焦がれる犬夜叉の心の内とは、甕に並々と張られた水面の如く、
片方へ傾けば忽ち零れ落ちてしまうほどに、それは不安定なものだった。
 今宵、月の現れぬ夜を一人 迎え、楓の村にいた犬夜叉は、立ち並ぶ欅の大樹を背に、己の
気配を隠しながらも、あるがままに佇んでいた。

 天候の急変の予兆は、太い幹に鉄砕牙を立て掛け、犬夜叉が胡坐をかいて座していた頃。
澱みゆく空模様は悪くなる一方で、近いうちに大粒の滴が落ちて来るのは必至だと思われた。
 今朝方、薬草を摘んでいた楓とすれ違った時に、夜に降ると予言めいたことを聞いたので、
ほぼ間違いはないだろう。
 その後、七宝が村近くを訪れ、馴染みある緋衣を纏った人影を見つけ、先刻 声を掛けたのだ。
何処で修行を終えて、今宵が朔の日であることから、挨拶も兼ね、犬夜叉に会いに来たという。
「今日も井戸にかごめはいなかった。俺がいくら覗き込んでも、外の世界は何一つ変わりや
しねぇ。それどころか──日が経つにつれて、あの時 嗅いだかごめの匂いも、嘘みてぇに
消え失せてやがる」
 古井戸の、四角く切り取られた異国への入口はまるで、動かぬ運命(さだめ)を示唆しているかにも
思えてならない。そういや、以前、楓が骨喰いの井戸を”物の怪の亡骸の捨て場”と言っていたの
も頷ける。戦国と現代を結んでいた唯一の場所は、元通りの朽ち果てた枯れ井戸へと姿を変えた
のだった。
「そ、そうか」
 犬夜叉から近況を聞き、表情が一瞬 翳ったが、それを見せまいと無理に微笑む七宝の葛藤が
透けて見えるようで、何ゆえか心苦しい。所詮 子供だというのに、大人びた態度をとるから、
余計に苛立ってしまう。
 旅の縁とは誠に不思議なもので、七宝との付き合いは、犬夜叉が雷獣兄弟を討った頃から
続く。また、か弱き人間の姿を他人に初めて晒した件では、己が幾度か助けられたこともあっ
た。蜘蛛頭の妖毒のせいで、犬夜叉が生死の危機に瀕した際も、かごめを守ろうと精一杯立ち
上がっていたのを、朦朧と薄れゆく記憶の片隅で、自分自身も確かに覚えている。
「七宝、頼みがあるんだが──」
 あどけない子狐も、村の外で幻術の鍛錬を重ね、その逞しさに磨きが掛かってもいい頃だろ
う。導(しるべ)なき朔夜だからこそ、乱れがちな本心を切り出さずにはいられなかった。加えて、
七宝が自分のことをどう考えているのかも聞いてみたかった。人々の営みの輪の向こうへ取り
残され、自然の流れに足掻こうとして──遠い国にいる女を待ち続けようとする男の生き様を。
「化けてくれねぇか? かごめに」
「な゛…犬夜叉…おまえ、今なんと…」
「できんだろ、おめーなら。たとえ妖術で作り出した幻だろうが、かごめに映れば問題ねぇ。
俺はただ──薄れちまう匂いとあいつの温もりに怯えて、かごめを思い出すのはもうたくさん
なんだ…!!」
 たっぷりとした、艶めく黒髪が時折 風に吹かれ、湿気を含んだ重たい空気を肌で感じる。
弱音と評せばそれまでだが、このひと月を過ごして、全て偽らざる犬夜叉の苦悩ともいえよう。
 御神木の下、かごめと出逢い、散った四魂のかけらを集め、破片を付け狙う妖怪とも戦って
きた。その最たる敵が奈落である。五十年前に犬夜叉と契りを交わそうとした、巫女の桔梗を
死なせた元凶だ。旅を進めるにつれ、共通の仇を捜し歩く不良法師・弥勒や、退治屋の珊瑚と
いった仲間に恵まれたのも、常にかごめが側にいてくれたお陰だ。
 激闘の末、奈落は破魔矢によって滅び、混沌とした四魂の玉も最後に浄化され、事なきを
得た。だが、光の柱に包まれ、かごめを現代に帰した直後、犬夜叉のみが戦国の地に一人降りて
いた。
 当たり前に感じていたものがそうではないと知った瞬間、どれだけ自分はかごめに頼っていた
のかを思い知らされたのだ。だとしてもなお、かごめの優しさに満たされていたい欲求が疼く。
「バカも〰〰ん!」
 茶色がかった七宝の前髪がちょうど目元を隠し、歯を食い縛って堪えている風にも見える。
腹の底から、思いを吐露するかの如き一喝は、俯いていた犬夜叉の心の奥深くに鳴り響いた。
「そんなことしたって……かえって辛くなるだけじゃ。かごめの姿に化けたおらも…何より、
犬夜叉おまえ自身が…!」
 一日の始めと終わりに、自分の横にかごめがいてくれて、飾らぬ笑顔を見せて欲しかった。
夢幻であっても、愛しい人の姿と同じなら、繰り返し味わいたいほどに、犬夜叉は飢えていた。
 けれど、苦楽を共にした仲間の七宝に”化けろ”とは、あまりに残酷だったかもしれない。
決して誰も、かごめの代わりなどいない。どう抗おうとも、その現実を突きつけられるから。
「かごめに会いたい気持ちは痛いほど分かる。じゃが…それとこれとは話が別じゃ」
 肩を震わせ、溢れ出る怒りとも悔しさともいえぬ何かを滲ませて、七宝は言い放ったのだ。
 日々を積み重ねても、かごめが楓の村を去った事実の整理が、容易に付くはずもない。
 弥勒に話を聞けば、二人が村を留守にしていた三日間、七宝はずっと井戸の側を離れずに
いたという。かごめを追って、冥道に飛び込んだ犬夜叉のことも心配で、始終見ていた珊瑚
が”見張りを代わろう”と七宝を慰めるほど、身体も心もひどく疲弊していたに違いない。
「…悪かったな…七宝」
「いや、すまん。おらも言いすぎてしもうた。のぅ…泣いておるのか? 犬夜叉」
「そうじゃねぇよ。雨だ」
 つぶらな七宝の瞳に見つめられ、犬夜叉の意識がはたと別の出来事に飛んでしまう。
灰色に染めた空は、どす黒い雲を次々集め、草叢に恵みの雨をもたらし、地を叩く有り様だ。
 頬を濡らした雨粒が涙に映ったのなら、何もせずこのまま委ね、欅の下にいるのも自然か。
「ならば、他の物に変化するのはどうじゃっ」
 そう宣言し、七宝は宙に軽々と舞い、ぼんと身体を弾ませて、取っ手付きの雨傘へと変化し
た。かごめの国では”びにーる傘”といい、雨の日に頭上へ翳して使う物らしい。傘というには、
歪で不格好な骨組みが、七宝の化けた姿のようで可笑しくも思う。
 雨に濡れても平気だと強がる犬夜叉だったが、あいにくこの様子では、すぐ止みそうにない。
「安心せい。夜が明けるまで、おらが犬夜叉の隣にいてやるからな」
「…けっ、いっちょまえに言いやがって」
 寝ずの番を買って出たところで、幼子の頼りなき体力ではたかが知れているというもの。
犬夜叉とて、七宝のお節介に甘えるつもりは全くなかったが、今はそんな気遣いでさえもが
身に染みる。慌てて、視線を七宝から逸らし、気取られぬようにため息をついた。

 朝陽が東の空へと昇り、妖力を取り戻した犬夜叉は、雲ひとつない青空を仰いでいた。
ふと、七宝の無垢な寝顔に気づき、少年の右掌は子狐の頭(こうべ)をなぞり、静かに撫でた。
 雨の滴だろうか、それとも人知れず流した涙の跡か。目元の肌に、縦の線を浮かばせて。
捨て身の傘となって、昨夜は人間の犬夜叉を守ろうとした、七宝の行為に思いを馳せる。
 今日も変わらず、楓の村では鍬を手に、田畑を耕す音が聞こえ、活気で一段と賑わい始めて
いた。それを見守るかのように、鳥が群れを成して羽ばたき、草花は人の足元をささやかに
彩る。
 自分が忘れなければ、かごめの声と温もり、甘い吐息さえも、永遠に自分のものだから。
 日常の中で、これからも思い出してゆくのだろう。かごめと過ごした歳月は、この胸にある。
いつの時も、名を呼べば微笑み返してくれた──井戸に通いし娘の、柔らかくて淡い面影を。

【後記】▼
七宝と朔犬で、三年間の空白を扱ってみました。かごめと離れてから、初めての朔の日。
彼らのやり取りはなんというか…旅途中でも心惹かれるものがありまして。
かごめが楓ばあちゃんの村にいない歳月を、七宝も修行の中、過ごしていたんだよなぁと…
子供ながらに悩んで、いろいろと葛藤するところもあったと思うんです。犬夜叉の近くで。

特別編「あれから」では確か、七宝はかごめに再び化けてましたね(笑)
おふざけも解禁ってことで、そこは大丈夫かなと。
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