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「読切」
みだれ髪

みだれ髪

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 思えば愚かなことをしたものだ。三日三晩、ろくに食事も摂らず、挙句に村境の川を
渡ろうなどと、あの時の自分はおそらく正気ではなかった。
 清浄な結界を施した堂に独りで籠り、己の持ちうる霊力を全て使い果たそうと試みて、
朦朧(もうろう)とした意識のまま、水浴びの場所へと向かっていた。
 この身を呼び止める者はいない。随分と前から、村を束ねる巫女とは、皆を守るために
あえて孤独の狭間に生きる者だと感じてていたが、これほどまで虚しい存在だったのかと
拍子抜けしてしまう。
 ひやりと冷たい、春の鼓動を中に秘めた川。川辺に辿り着いた桔梗は、水面を眺める。
継ぎ目がほつれた草履を置くと、童心に返った少女のよう、軽やかに水の中へ入ってゆく。
 気持ちが良かった。白衣も緋袴も盛大に濡れ、果ては肌にまとわり付いて、一体化した。
不快感が占拠してもおかしくはないのに、ゆるやかに水と一緒に漂う時間はなんと愉しい
ことか。
 だが、死の誘惑に従ったところで、常人ならざる巫女ゆえ、簡単に死ねるはずもないのだ。
水位が桔梗の腰深くまで浸したけれど、直後に潮は引いていき、ただ生ぬるい現実を刻む。
 もう、いっそのこと、潔く瞼を閉じてしまおうか。何かも忘れてしまえば、きっと楽に
なれる。
 とめどなく溢れ、勢いを増す川の流れに逆らったとしても、誰も自分の姿を見てくれは
しない──ほんのささやかな足掻きでさえも、大きな力の前では無意味だということを、
いつからか桔梗は悟るようになっていた。

 夢を見ていた。長く、途切れることのない、幸せに満ちた幼き頃の記憶。
両手に抱きかかえられるほどの小さな時から、ずっと見守ってくれていた、父母の頼もしく
てあたたかい背中。大好きな温もり。
『まだこっちに来てはいけないよ、桔梗』
『どうして? 父上も、母上も側にいるじゃない』
『だめ。あなたにはまだ、やり残したことがあるでしょう。楓を一人にするつもりなの?
お姉さんなのよ、桔梗。それに…あなたには持って生まれた使命があること、本当は分か
っているはず。母はいつだって、桔梗の味方ですからね』
『…母上…』
 聞き取れた言葉は、ただそれだけだった。延々と脳裏に巡りながら、父母らしき影は徐々
に遠ざかっていく。おぼろげな輪郭は実体を模り、そこに思い出が滲み出しては、離れない。
 忽ち、下界へと真っ逆さまに一人で放り出されたような心地に包まれる。ここは何処だ。
延々と流れゆく川の音が遠ざかると、外の乾いた風が喉元に刺さり、急に胸が苦しくなって
きた。息継ぎをするように、ひとつ、二つと咳き込むと、桔梗の視界が明るく開けたのだ。
「しっかりしろ、桔梗! てめえ、こんなとこでくたばってる場合じゃねぇだろ!?」
「あ……おまえは……」
 宙を仰いだその先にあったのは、気絶した巫女を何ゆえか介抱している──奇怪な少年。
「私…を助けてくれたのか」
「そんなんじゃねぇよ。ただ…おめえが行方不明って聞いて、探してみたら……このざまだ」
「そう…か…」
 長くいた川底から、陸地へと上がった途端に、随分と身体の重みがのしかかって来る。
いつの間にか元結が解け、濡れた黒髪は己の自由を攫うように、人間の熱さえもなくしてゆく。
 先刻から、背後を襲う悪寒がして、たまらず青ざめた表情で、隣の半妖の男を見ている。
時折 やって来る眩暈に堪えながら、今の桔梗にはその場で力なく蹲るしか術がなかった。
 加えて、早春を迎えたところで、十分な陽射しは望めそうもなく、冷たい風が体温を奪う。
それを見かねてか、かの少年は自分を日向へと連れ出し、少しでも暖かい場所を探そうとした。
 ピクリと犬耳を動かし、銀髪をたなびかせて空を自在に飛ぶ彼は、他の誰にも似てはいない。
村に来る途中で拾ったという蜜柑を半分に分け、不躾に”食え”と勧めてくるので、桔梗は素直に
手を伸ばした。
 岸辺に二人、包む言葉が何もないのは寂しいが、今を共有できていることで満たされている。
爪を立て、丁寧に蜜柑の皮を剥いて、つるんとした果肉をかじった。なんて甘くて爽やかな香り
だ。一口味わうごとに、事の顛末が蘇り、両掌の感触からは、記憶喪失の薬をあの時、使った
ことも。闇夜に開かれた曰くつきの市で、全てを忘却する劇薬の存在を知り、興味心で買い求め
ていたが──効果は長く続かなかったということだ。事実、早くも綻びが見え始めているから。
「ひとつ頼みがある…。あの木に、登ってくれないか」
「あ?」
 こんな身勝手な願いに付き合わせてしまったお礼に、自ら記憶の糸を手繰り寄せてやりたい。
運命に抗おうとして、痛い目を見た。だからといって、その時に感じた想い、淡い恋心までも
忘れようなど、虫が良すぎたのだ。これほど大切な者の名を、どうして今──呼べないのだろう。
 不本意ながら、巫女を抱きかかえるようにして、少年はそのまま桜の木へと跨って座った。
「…思い出したか」
「おまえの名は…犬夜叉というのだな」
 初めての出逢いを、忘れたくはなかった。見上げる位置にいた彼が、今は隣で目線を反らす。
他を寄せ付けぬギラギラとした眼差しで、黄金の宝石の輝きが眩しく、鉄爪は鈍く光っていた。
後で気づいたこともあるが、やはり最初に抱いた想いも本物。安堵に包まれ、雫が頬を伝う。
「二度と忘れんじゃねぇぞ、巫女様よぉ」
「ふっ。この桜の木が…思い起こさせてくれたのだ。犬夜叉、おまえは知らぬだろうけれど、
ちょうど一年前、私は──村にある大木の桜の幹に堂々と座っていたおまえを見つけてな。
緋色の衣に桜の花びらが落ち、暫し向こうで佇む犬夜叉の姿が忘れられず……あれは本当に
綺麗だった」
 枝葉に付いているのは春の萌しを待ち侘びる蕾だが、あとひと月もすれば、一斉に咲くこと
だろう。それにしても──奇妙な縁に導かれるように、犬夜叉との関係がこれほど続くとは思い
もしなかった。
「そんなこともあったか」
「ああ。妖力を高める宝玉を求めて、おまえが村に入り浸るようになったのもその頃だ」
「人聞きの悪ぃ。俺はただ、妖怪になって強くなりたかっただけでい。身も心も…今のまんま
じゃ、何ひとついいことなんてねぇからな」
 槍玉に挙げられるのが嫌らしい。目を泳がせ、犬夜叉は腕組みをしてぼそりと呟いた。
あまりに率直な物言いで、なんだか微笑ましくもなる。手を焼いてきた半妖の心の内を、
こんな時に知ることができたことは、桔梗としてはとても新鮮だったのだ。
「本当にそう思うか?」
「…どーゆー意味だよ」
「私は、邪な者から四魂の玉を守るため、巫女として、できる限りのことはしてきたつもりだ。
常に警戒を怠らず、自分を厳しく戒めてきた。妖怪との戦いに明け暮れようと、大切な者たち
を守るためなら、この命さえ捧げる覚悟だった。それは今も変わらぬ……だがな、この辺で
潮時にしても良いのかもしれぬ、最近はそう考える自分がいるのだ」
「ん? 玉の守護を降りる話か? いつでも歓迎だぜ、俺はな」
「いや。面と向かってこんなことを言うと、なんだと笑われるかもしれん。前もって、誰かに
話したこともなければ、妹に気持ちを打ち明けたこともない。奥手で、不慣れな私を許して
おくれ」
 先刻から、身体が言うことを聞かないせいか、桔梗の手の震えが小刻みになり始めた。
寒さは相変わらずだが、頭よりも心がせわしなく動き、己に課した枷をも壊そうとしていた。
「ったく、結論から早く言えばいーじゃねーか。何が望みだ、叶えてやれるか聞いてやらぁ」
「犬夜叉──私はおまえと一緒になりたいのだ。誓ってくれるか、共に歩んで生きてゆこうと」
「……」
「唐突に告げることではなかったか」
 後悔の念は不思議とないが、思いの丈を吐き出した今となっては、もう後戻りできない。
村の巫女の役目も一緒に降り、普通の村娘に戻って、犬夜叉との日々を過ごしてゆくと。
”二兎を追う者は一兎をも得ず”というように、器用な真似は自分には到底できる訳もなく、
どちらかを選ばねばならないのだ。日ごとに膨らむ感情の正体を、いつからか知るのさえも
避けていた。
「犬夜叉。今の言葉に、何ひとつ嘘偽りはない。全て、心からおまえのことを想うがゆえにな」
 樹上から見下ろした村の景色を眺めて、ふぅと一呼吸置いた。まだまだ、この世で生きていた
い。地続きの過去と未来、ずっと独りだと思い込んでいたけれど、心を通じ合わせる者に会えた
ことで、ほんの少しの光が差し込んだ気がした。
「──俺も」
 犬夜叉が不意に立ち上がり、右側にある一つ先の木へと、軽やかに跳躍してゆく。
「なんでか分かんねぇが…同じ匂いのする女には、俺が生きて来た中じゃあ会ってねぇんだ。
桔梗、おまえと俺は所詮 敵同士。分かり合おうなんざ生ぬるいこと考えてる訳じゃねーが、
それとは別に──違った立場でおめえと話して、どう変わるのか試してみてぇとは思う」
 元の場所に戻ると、桔梗の右腕を肩にかけ、いともたやすく、犬夜叉は真下に着地した。
目立った身体の異変が和らいだお陰で、こちらの気分も徐々に良くなり、長話も苦ではない。
「もう少しだけ…待ってくれねぇか」
 ひどく落ち着いた低い声と、困ったような幼子の如き彼の様子に、正直なところ、面食らう。
告白の件をバカにするのでもなく、冗談だと言ってごまかすでもなく、真摯に答えてくれると
いうのか。
「いいさ、すぐに答えは要らぬから」
 二の句を聞くのが怖くて、犬夜叉から離れるように、桔梗は背を向けて反対側へ歩いていた。
明日になれば、この意味深長なやり取りも、相手には忘れ去られてしまうのかもしれない。
 身体が本調子には程遠く、足元もおぼつかぬ最中であっても、前へ前へと、心は動いてゆく。
家路までの道中、夢ともうつつとも言えない出来事だけが、桔梗の空っぽな部分を埋めたのだ。

【後記】▼
久々の読切でした…犬桔の五十年前のあれこれ。記憶喪失ネタです。
私の理想は、桔梗様が犬夜叉に惚れたのは桜の木の下で、というシチュエーションなんです。
木の上に登ってみるのもいいんだけど……犬夜叉を見上げる桔梗様というのが大好きなんだよなぁ。。

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