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「読切」
厭世雨

厭世雨

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 蝋燭の灯火ひとつで、かろうじて保たれていた仄明るさがその時、強風に煽られ忽ち
消えたのは、とある真夏の晩の出来事だった。
 部屋の片隅にいても、天に怒号を発する雷鳴の轟きは体内にまで響き、大粒の雨も
留まることを知らず、夕暮れ時から延々と降り続いている。
 前もって、戸に鉄砕牙を突き立てて結界を張り、入口に破魔札を貼るなど万全の態勢
を敷いていたので、朔の日の備えは万事整ったところだろう。
 ただ今宵、月明かりも望めぬ空模様とあっては、部屋の光が頼みの綱には違いない。
一刻も早く点さなければと、かごめは旦那の方を振り向くが、彼の気配すら曖昧な有様で、
不安がいたずらに募る。
「犬夜叉?」
 竈に立っていたかごめは、助け船を求めようとして、囲炉裏に座して佇む犬夜叉を呼んだ。
「ね、火点けるの手伝って欲しいんだけど…」
 人影の主は赤い着物を膝に乗せ、外を不安げに憂う横顔のまま、頬杖をついていた。
「…かごめ」
 しばらく間が空いて、人間の姿になった犬夜叉がハッと振り向く。この距離の近さ、耳に
届いているはずというのに、彼の反応の鈍さには首を傾げてしまう。
「どうしたの、小難しい顔しちゃって」
「なんでもねぇ。まだ雷が鳴り止まねぇな」
「うん。いつか静かになると思うんだけど…」
 だが、回復の兆しが見込めるとは言いづらい。楓が村の皆にも告げていた通り、近辺の集落
に渦を巻く雲がおとなしく通り過ぎるのを待つ他はないのだと。
 小さな光が灯り、柔らかい橙色に気分も明るくなる。慣れた手つきで火を起こし、ふと自信
を覗かせる犬夜叉の仕草に見惚れて、にやけてしまうのはどうしようもない。
「わっ!」
 突然の稲光に慄き、丸く膨らんだ袴の裾を踏んづけ、かごめは前のめりに転びそうになった。
「あ…ありがと、犬夜叉…」
 重心が崩れた弾みでもたれかかり、思わず恥ずかしくなる。自慢の緋色の衣を毛布代わりに
この身を預け、かごめは唯一無二の温もりに安堵すると、微笑んで瞼を閉じた。
 ドクン、ドクンと鼓動は脈打ち、犬夜叉の心音が聞こえて来る。表情には出さないけれど、
実は自分よりも怖がっているのは──只人に形を変えた犬夜叉の方ではないだろうか。
「大丈夫よ。私と一緒にいれば、怖くなんかない」
「ん?」
「あんたはいつだって、私を守ろうと矢面に立って、危険を顧みずに行動してくれるけど。
時々は私に全て委ねてもいいのよ。お互い様でしょ、夫婦なんだから」
「……」
 重ね合わせた掌から、同意の言葉がふと囁かれ、かごめは犬夜叉の想いを受け止めた。
もっと、甘えてくれたら。二人で嵐が過ぎ去るのを待つには、短い夏の夜でも焦れてしまう。
「そうだわ。ねぇ、犬夜叉。あんたのお母さんとの思い出を聞かせて。こんな朔の日は、どんな
風に過ごしてたの?」
「…仕方ねぇな」
 真っ白な袖の端を手繰り寄せ、犬夜叉がこちらを見遣る。過去を語る時、必ず彼は瞳に闇を
残す。誰にも触れさせずに、長年 隠してきた心の傷跡をかごめには教えようと、ひとつずつ
紡いでゆく。
「あれはまだ、俺がおふくろと屋敷で暮らしていた時のことだ」
 昔話を語る横顔にしては、どこか生々しくて痛みを感じさせるような、犬夜叉の飾らぬ本音。
続きを促したのは自分だけど、悪いことを聞いたのではないか──そんな後悔が込み上げた。
「外はどしゃぶりの雨でよ、今日みてぇに雷も大仰に鳴り響いて、騒がしい空模様だった日…」
 今では遥か遠い出来事だろうと、小さな心を痛めた原因を辿ってみれば、現実味を帯びる。
「その日は朔の日で、いつもは俺の側にいてくれたおふくろが、珍しく客人と話していたんだ」
「え、犬夜叉は一人でその瞬間(とき)を迎えたの?」
「ああ。人間の姿でじっとしててもつまんねぇから、言い付けを破って、部屋の外に出た」
 相変わらず、雷雨の轟音とは凄まじいもので、例えようのない恐れを増幅させるにも等しい。
やんちゃで好奇心旺盛な半妖の童にとって、静かにやり過ごすことがどれほど難しいことか。
「外で騒がしくしてりゃ、あっちから気づくんじゃねーかと、わざとうるせぇ真似してな。そう
したら、ゆっくり歩いてきた白髪頭の細身な男に、俺は勢いよくぶつかっちまった」
 裸足で廊下を駆け、曲がり角を折れた時──何処の雅やかな鶯色の着物を纏った貴人の身体
が、犬夜叉を突き飛ばした。その人が十六夜の叔父に当たる血筋の者であると、後に世話付きの
女房から聞かされたのも、いつぞや雨がしとしと降る日のことだった。
「そいつはおふくろに似ても似つかねーし…遠目に見たって、俺たちのことを良く思ってなかった」
 ここまで、周囲と距離を置き、数少ない親戚への挨拶すらもせずに来たため、突如 繋がれた縁
にも戸惑う。
「出世できねぇのを自分の弟のせいだと言い募り、噂では妖怪と縁を結んだ姪のことなんぞ、鼻
から相手にしてなかったらしい。おおかた、ひっそりと慎ましく暮らしていたおふくろに文句で
も言いに来たんだろ」
「…その人とは他に話した?」
「あんま覚えちゃいねぇ。ただ──そいつの様子は…目も虚ろで覇気もねぇし、この世を恨む
眼差しだけは、貧相な顔立ちから滲み出ていたんじゃねーかと、おぼろげに記憶してはいるがな」
 過去に犬夜叉が出会ってきた”人間”の多くは、荒んだ獣の如き鬼の心を持っていたのだろうか。
「なんて不気味な男だと思ったが…俺は、おふくろを悲しませて平気で嘲笑ったやつをどうにも
許せなかった」
 聞くに堪えぬ愚痴をただ仕舞うのは御免だ。見ず知らずの男に、これ以上告げる言葉もない。
「元いた部屋まで向かったら、一番におふくろの顔を見上げて、わーっと思いの丈をぶつけてたぜ」
 うっすら潤んだ目元には、人知れず流した涙の跡が窺える。何を叔父に言われたかは察せずと
も、自分だけは母の十六夜のことを守りたいと、悔しさを滲ませるしか術がなかった。

 暗雲垂れ込める雲居の下に、今日もありふれた景色が忽ち戻って、母と子の時間が刻まれる。
十六夜は我が子の姿を認めると、色鮮やかな十二単の袖口を翻し、両手を広げて微笑んだ。
 この上ない、幸せな感情が心に栄養として注がれてゆく。他の誰にも、邪魔されたくはなくて。
『いけませんよ、犬夜叉。どんなに言動に非があろうとも、あの方は私の大切な叔父上。さぞ
怖かったでしょう。けれど…間違っても、母の敵ゆえに憎いなど、陰口を言ってはなりません』
『でもっ…! あいつ、母上のこと、悪く言ってたんだよ。二人は好き合って夫婦になっただけ
なのに、“姫は化け物にたぶらかされて子まで宿し、女として当たり前の幸せを自ら放棄したの
だ”とか』
 相手とて、不用意に傷つける言葉を身内へ吐いたつもりはなかったのかもしれない。
 しかし、幼き心は、些細な口論が契機で剥き出しになった悪意に怯え、同時に底知れぬ嫌悪感
をも覚えた。
『犬夜叉。あなたなりに、この母を心配してくれていたのですね』
 繊細でしなやかな母の手が、犬夜叉の頭(こうべ)に置かれた。撫でてもらう際の、仔猫を愛でる
かのような仕草がお気に入りで、こちらも夢見気分を味わい、心地良さで一杯になる。
『母上…は…どうしたいのですか…?』
『もちろん、私は犬夜叉と今まで通り、二人でつつがなく暮らしていたいと思っています。
安心なさい。今宵は母の寝所で共に休むがいいでしょう』
『本当? あの、さっきの約束だよ。俺も母上の力になって、できることは何でもするからさ』
『まあ。なんと頼もしいですこと、犬夜叉』
 無防備にも、朔の日の秘密を人前で晒した件に関しては、母はあえて何も叱らなかった。
 ひと月が過ぎてから、風の便りで、叔父が世を去っていたことを知った。けれど、その時の
自分は幼稚の塊で、むしろ罰が当たった報いとさえ、犬夜叉は不謹慎にも感じていたほどだ。
いつしか、記憶の片隅に追いやられ、日々の喜怒哀楽と共に、上塗りされていくのが分かる。

 空間にできた暗がりで、二つの瞳が優しく絡み合い、呼吸をするのも忘れて見つめ合う。
妖力を失うことと引き換えに、人間として過ごすのが一瞬だとしても、どこか惹かれてしまう。
「別にな、今でも雷が怖ぇとかじゃねぇんだ。朔の夜、外で雷雨に見舞われたことだって何度も
ある。だが──百五十年も経ってから、遠くで久々に雷を聞いて、あの日を連想しちまうとは
驚いたぜ」
「そっか…辛い思いをしてきたんだ、犬夜叉」
 外の世界と切り離し、家という安住の地で、誰かと身を置く人間の営みに、かつて犬夜叉も
属していた。それから訳あって、一人で生きてゆこうと堪え忍ぶ期間が長かったものの──
かごめと出会って、三年越しに夫婦となった今、形のない不吉な影が脳裏を霞めていったのも
頷ける。
「かごめ」
 振り向くと、薄暗い闇夜にぼんやりと浮かぶ月のよう、色気を纏った旦那の視線があった。
「今じゃ、隣にかごめがいて、どうしようもねぇ自分の弱さも全部さらけ出して、本音を打ち
明けられる仲間もいる。おまえが俺を導いてくれなきゃ、これといった居場所も見つからねぇ
まま、きっと一人きりだったろうな──だから感謝してる」
「…やだ、なんで急に照れくさいこと言うのよ……っ」
 ぎゅーっと、その時に両頬を引っ張られ、思わぬ犬夜叉からの先制攻撃を許してしまった。
ときめく言葉で油断させておいて、茶目っ気たっぷりに顔で遊ぶなど、まるで反則ではないか。
「そんなの、俺の話聞いてくれた礼だ」
「どういたしまして…」
 不愛想に悪態をつきながらも、彼の表情はとても満たされていて、怒る気も途端に萎える。
やがて二人は腕の中で温もりを確かめ合い、かごめは思う存分、犬夜叉に甘えて時を過ごした。

 幼き頃の陰鬱な嘆きの雨の記憶が、大切で温かな思い出へと変わるとき、犬夜叉の心にも光が
差し込んだ。
 大雨で何もかもを洗い流した後に、この上ない晴れ間が覗く空のように──過去の痛みと向き
合い、そんな自分も許していけばいいんだということを教えてくれたのは、他でもないかごめ
だったのだ。

【後記】▼
お題箱に頂いたリクエスト。朔犬かごで、幼少期の辛い経験を思い出し、かごめがそれに
気づいて優しく慰める──という描写でした。
十六夜様が回想で登場する場面は、書いてて自分でも高揚したのがとても印象に残ってて。
素敵な機会を下さり、ありがとうございました!こんな朔夜があってもいい。
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